ブルーノート東京 リアノン・ギデンズ

 食後のコーヒーを飲んでいたら、目の前に風が起こって、すてきなブルーのワンピースが通り過ぎる。リアノン・ギデンズ。はじまる!追いつけない。ちょっと待って。舞台ではもう、リアノンがバンジョーを抱え、親指で弦を弾(はじ)いてる。走った後の搏動のような速さ。Spanish Mary。彼女が高音に声を張ると、ふっと聴いている私の身体が浮き上がって、中身だけ音と一緒に持っていかれてしまう。持っていかれるの早すぎ。体の外側はまだ、その楽器、バンジョーマンドリン?とおっとりとものを言っているのだった。ドリー・パートンの曲、パッツィ・クラインの曲。パッツィ・クラインのShe’s Got Youを、ベストラブソングと紹介する。かなしい曲なのだ。愛をこめてサイン入りの写真をくれた男が、ほかの女のものになる。まるで歌声が、放物線を描いて遠くの男に届くみたい。いや、あの声の落ちかかるところに彼がいるのだ。リアノンは歌い終わりながら、少し後ろへ下がる。それも悲しいね。届くはずの声がぼやけていくみたいで。

 Waterboy。感想をメモしようともって行ったメモ帳を見ると、ひとこと、乱れた字で、

 「れこーどよりうまい」

と書いてある。レコードって、CDのことね。CDだって、ものすごくいいんですよ。でもそれ以上。給水係の少年を呼びつけている歌。おなかの底から出る伸びる声だ。どこまでも伸び、どこまでも響くような。

 声の一音一音に個性がある。演劇っぽい。音と音とが相談し合って、あんたそんな音なの、じゃああたしはこの音ね、こんな感じ、と言い合っているみたいな多彩な音。そのアンサンブル、音同士の寄り添い方がすてき。どの曲も、バンドのアレンジっていうか、音楽の「糸始末」がかっこいい。きまってる。

 Tomorrow Is My Turnもとってもよかったけど、ゲール語で歌った民謡が素晴らしかった。速くリズミカル。どんどん速くなっていく。手拍子しながら歌いこなす。まさにMouth Music。息継ぎがわからないくらい一気呵成。くらくらしながら私も手をたたく。

 演奏の合間に、リアノンが日本語で「ありがト」という。それがきれいな透きとおった音で、音楽のフレーズのようだった。こんな風に、音にいつも感情が載っているんだなあと思った。スカートを翻して、リアノン・ギデンズが帰っていく。また来てね。