紀伊国屋ホール ラッパ屋第45回公演 『2.8次元』

 地に足ついてる。それが面白さと、侘しさの源泉だ。

 だってさ、舞台いっぱいに建てこまれた老舗の劇団の稽古場が、それ以上でもそれ以下でもなくリアル、天井まで三つに区切って縦に貼られた羽目板が、昭和中期を思わせて、本当に貧しく質素。力の弱そうなクーラー、壁に貼られた「人間を見せよう 人間を生きよう」というモットーも、間違ったことは言ってないのに、さびしい。赤と緑の安物のスツールがそこここに置かれ、下手にはアップライトピアノがある。暗幕で隠してある窓が二つ。

 あかるくジャズピアノの生演奏で始まり、ミュージカルのように歌うけど、これ、現実やん。現実。老いの問題入ってるし。現実。と少し肩を落とす。人間いくつになっても夢が見たいのか。

 経営不振の新劇の劇団が、2,5次元の俳優(TOSHI=林大樹)と演出家(SHOW=中野順一朗)を受け入れ、2,5次元ミュージカルを劇団主催で公演する。新劇のプライドと、飛ぶ鳥落とす勢いの2,5次元の「アニメに忠実」なつくりとの齟齬、2,5次元の人々の微妙なコンプレックス、「キャラが薄い」せいでテレビに売れない中高年俳優の諦めと矜持が入り混じり、「演劇」の現在、悩みと希望を照射する。空飛んだりファンタジーに都合のいいことが起こったり全くしない。ラッパ屋の老年の俳優たちが淡々と芝居を進めていく。その現実とも芝居ともつかない「ためいき」のようなリアルな運びが、彼らの出演する2,5次元の芝居を薄皮一枚剥がす。感動させる。地に足ついてる所から、ありきたりのしょぼい場所から、遠くまで来ちゃったなと思いました。

 老年であること、リアルであることを逆手にとってこの芝居はできている。いつもこの手は通用しないよね。小西雄介(おかやまはじめ)の台詞は「稽古中」じゃなく「練習中」では?素人だし。