アマゾンプライム 『ドリーム』

 カメラはいつでも「写る人」を選んでいて、そこに「写らない人」のことを忘れさせる。西部劇には東洋人はいない。NASAの映像で黒人の人を見たことはなかった。しかし、フィドルの音色の中に胡弓の声をふと聴くことがあるように、『ドリーム』は、「写らない人」「見えない人」になっていた「数学の天才」の黒人女性を顕在化するものなのだった。キャサリンタラジ・P・ヘンソン)はNASAの花形であるマーキュリー計画の計算手をつとめることになって部署を変わる。計算に夢中になってカップにコーヒーを注ぐキャサリンは、周囲(全員白人)の驚きと当惑、不快の視線に包まれる。それは暗黙の裡に「白人用」だったのだ。凝然と立ちすくむキャサリン。こことてもきつい。わたしだったらがんばれない。800メートル歩かないと「黒人専用トイレ」がない。警官にはナイスな態度で、上司には話しかけては駄目。こういう差別って、みんな、見えなくなるための呪いみたいなもんだと思う。ナイスにしとけば、話しかけなければ、誰もが安心して「見えない人」扱いできる。「見えない」ことを良しとせず、キャサリンと同僚たちは、職場で、法廷で、図書館で、死力を尽くし、知恵を絞って奮闘するのであった。

 エンジニアになりたいメアリー(ジャネール・モネイ)が、判事に迫るセリフがよかった。あれ、「言論で人を動かす」基本だよね。

 上司のケヴィン・コスナーは、「気難しい」「研究以外興味がない」と周りにさんざん言われるけれど、最初にキャサリンと会う階上で白シャツの後姿を観た時、あれっと思うのだ。なんか柔軟、こちこちでない。人の話を聴きいれる体勢になっている。役作りなら正解だけど、意外性がない。お話は「お手本」のようにすいすい進むのに、風邪のキャサリンの家にお母さん(ドナ・ビスコー)がいなかったのはなぜなんだ。