世田谷パブリックシアター 『森 フォレ』

 装置家のつくりだした、大きな木の年輪の、傾いた舞台セットが、理詰めでこの芝居を説明してくるにもかかわらず、私のイメージはずっと、ここは(子宮)の中なのだという、どっちかっていうと強迫的な感じであった。「子宮」という日本語は、かつての男たちのせいでずいぶん貶められている。人をけなすのに使われた「子宮作家」とかのひどい言葉、「女は子宮で考える」という迷妄、それらがここでは空気を入れ替えるように刷新されている。

 この芝居では一貫して女の人たちが怒っている。狼のような女たち、分厚いゴムの壁を「突き抜けてくる稲妻」のような、あり得ない怒り、それを体現することができなければ『森』の価値は半減する。そこがねー。まずエメ(栗田桃子)の怒りが弱い。ゴム(絶縁体)で無力化されちゃうよ。無力化すると全ての台詞がうそっぽく聴こえる。あと、リュス(麻実れい)の歯のくだりも、脚本が飛躍したみたいに非現実的な感じがするから、押し殺した怒りがもっと必要だ。歯を折られることで、リュスがリュディヴィーヌ(松岡依都美)の赤ん坊のままでいるという暗示なんだろうけど、ここきつかった。

世界の歴史と、徐々に遡っていく二十歳のルー(瀧本美織)の家族史が混ざり合い、複雑を極める。(瀧本もっと怒る。稲妻がゴムの床を突き抜けるくらい)

 リュディヴィーヌとサラ(前田亜季)の追詰められたシーンの緊迫した芝居が素晴らしかった。サラがリュディヴィーヌに返したことを考えると、そのシスターフッド(だと思う私は)が鮮やかで美しい。亀田佳明のエドモンの台詞が明晰である。ルーの最後のひとことは、きちんと届き、この芝居を光らせ、成り立たせる出来だった。