中野サンプラザ 『ベルウッド・レコード50周年記念コンサート』

 ずいぶん高低(たかひく)のあるスタンドが舞台に並び、一番上に照明をつけて、星のように光ってる。

 今日は、『ベルウッド・レコード』の50周年の記念コンサートだ。ベルウッドって、1972年に正式に活動を始めたキングレコード傘下のレーベルなんだって。70年代のフォークミュージックのスターを輩出し、LPを90枚、シングルを48枚リリースしている。高田渡あがた森魚はっぴいえんど六文銭くらいは私も知っているけれど、ちゃんと聴くのは初めてだ。

 高田渡の息子、高田漣の歌う『コーヒーブルース』がしょっぱなで、高田渡のふかふかの黒い土のようなヴォーカルに対して、高田漣は、靄を照らす光線みたいに聡明な声である。日本のフォークやベルウッド・レコードにとって、高田渡の存在はすごく大きい。高田漣が控えめに(無口に)ではあるが、コンサートの進行をつとめるのも、そのせいかも。高田渡は56歳で急死していて、西岡恭蔵も50歳で亡くなっている。なくなって時間がたつのに、彼らが「いない」っていうことが、バタフライテーブルの継ぎ目のようなひっかかりに感じられる。

 『ベルウッド・レコード50周年記念コンサート』で一番強く胸に来たのは、70年代の、「どうやって日本語をメロディに載せるか」という苦闘の歴史だ。子音の後に母音の来る言葉、それをどう音楽に乗せるか、フォークの人たちは喋るように歌ったり、語ったり、早口に歌詞を詰め込んだり、様々に工夫する。いとうたかおは、『明日はきっと』で「ふとん」という単語を強調して傘のように使う。かと思えば「明日の朝の一番列車で」は3回繰り返される。これ、ここの「音」がだいじ?次の歌詞を引き立てる?次に歌った『生活の柄』(高田渡)では、いとうたかおのバージョンだと、ものすごく切実に、「ねむれない」。高田渡の歌はどこか暢気でふわふわしているけど、人によってこんなに違うんだね。

 次に歌った大塚まさじ(ザ・ディランⅡ)は、サブスクとは全然違った。「山の…上から…かおを…のぞかせて」と、崩しまくって歌うけれど、ベテラン歌手が昔のヒット曲を歌うのとは違う。もっと破格。こういうセリフ術の前衛劇もいいかなと思うのだ。迫真である。

 次の『プカプカ』を、ネットで見て衝撃を受けた。歌のモデルになった女の人の没年不詳。歌手なのに。原田芳雄と同期なのに。中也の長谷川泰子だって、もっと来歴はっきりしているよ。

 中川五郎の歌は楷書。若い時のピュアさはないけど、きちんと歌う。四季とか新劇みたい。『ミスター・ボー・ジャングル』の歌詞が若者のそれで、老人になった今こそ、書き直してもいいんじゃないの。

 ここまでリアルタイムのフォーク歌手の歌を聴いてきたところで、森山直太朗が登場する。この人は1976年生まれ、フォークが好きでよく聴くといっていた。歌うと、森山が「フォーク」をどう解釈しているかがはっきりする。1フレーズのなかに、4対1くらいに素の語りとメロディ部分があるんだけど、素の外し方とメロディの乗せ方がものすごく巧くて、ふーん凄いなと思う。語るところも清新で陳腐でない。ただ、演奏が入ると平凡になってしまう。アカペラと、口をつぐんだときの世界の静寂が飛びぬけていた。

 そして、あがた森魚です。(『赤色エレジー』)。ちいさな五燭の電球が、あちこちに蛍の様に灯り、四畳半の小さな国を、宙に舞い上げていく。…って思った。あがた森魚の声って昔っぽい。何もしなくても拡声器(ヴォイスチェンジャー付)のように、古めかしくまっすぐ声が出る。どことなく玩具的な演奏ととてもあってる。あがた森魚の時から舞台に上がっていた鈴木慶一武川雅寛はちみつぱいあがた森魚のバックバンドだった)の演奏をする。日本語ロックの嚆矢である。「ぼくは」という歌詞が「bank wa」ときこえ、ださくなく、苦労が思われる。

 高田漣細野晴臣の「ろっかばいまいべいびい」を歌い、つぎに、なぎら健壱が、歌うとこを初めて見た。(うまいんだー)と、これまでのなぎら健壱観を反省。コミックソングの人かと思っていた。雑草にくわしい人かとおもっていた。ごめん。

 この後、伊藤銀次がデビュー曲と大瀧詠一の曲を歌い、佐野史郎遠藤賢司の『夜汽車のブルース』とはっぴいえんどの『かくれんぼ』をやった。伊藤銀次は冒頭をまちがっちゃったと言ってたけれど、曲終わりの詰まった感じの方が気になった。佐野史郎、病気快癒おめでとう、『かくれんぼ』、よくこのむずかしい曲を。この曲、手で上から伏せ籠のようにとじこめて歌わなきゃじゃない、掌が上向きに開いてたよ。鈴木茂はかっこいいプレイで、ギターを弾いてる所が鋳型で鋳たみたいにキマッテル。

 最後は六文銭で、小室等別役実作詞の曲で知っていたけれど、及川恒平ってひとが、こんな感じいい声のひととは知らなかった。及川は74歳、小室は78歳だけど、巧く歌って穴がない。六文銭の女の人は若い人で、このコンサートには同年代の「女の人」というものは出てこないけれど(当時、おんなのひと、いなかったの?)、みな和やかなコンサートでした。