Bunkamura DISCOVER WORLD THEATRE vol.13 『アンナ・カレーニナ』

 「あの」、『アンナ・カレーニナ』の上演台本化は大変だっただろうと思うのだ。じっさいよくできてる。すべてが入れ子のように仕組まれて、アンナ(宮沢りえ)――亡霊の中に生が、生の中に愛が、愛の中に嫉妬が、そして憎悪が、執着や苦しみや死や、喜びや性愛がある。そしてマトリョーシカの中の中の中に、白く光る米粒ほどの大きさに「神」が在り、その米粒の輝きはこどもの乳歯のかわいい美しさにいくらか通底している。人間の芯はみな純粋だけど、入れ子を通すうち、醜くも、複雑にもなるってことかなー。アンナの性愛が疾走する馬に例えられ、人の力をしのぐ新しいもの(入れ子の外)に汽車が置かれてるのに感心した。1875年の作品らしいけど、夫を見捨て、士官ヴロンスキー(渡邊圭祐)と恋に落ちるアンナをトルストイは悪者にきめつけない。アンナは、「ひま」だった。「退屈」していた。そこ、薄くだけどちゃんと書いてある。女を檻に入れたために起きる「ひま」「退屈」はもっと恐ろしいものであり、「父の娘」あるいは「夫の妻」でしかないことが連綿と続くってとこ、突っ込んでもよかったのに。演出の完成度は高いが、全然現場を見ていない。プラン、台本に対して舞台は7~8割の出来。演出、ちゃんと現場の底上げを図りなよ。俳優の出来は、全員8割だね。むずかしいとか気持ちわからんとか人のことが気遣わしいとかいろいろあるだろうけど、まず「じぶんの盃を充たせ」。どのシーンも溢れてないから観ていてつまらず「はいはい、次」となる。宮沢りえ、8割じゃ日本の大女優になれん。1幕終わりの出産シーン、もっとボルテージ上げて。縁いっぱいまで盃に注いで。動いたらこぼれるように。小日向文世のカレーニン、後半いいけど最初は「こひちゃん」である。皆貧血気味だよ。リョービン(浅香航大)とキティ(土井志央梨)怒鳴るとこきちんと声が出るように。