世田谷パブリックシアター 日韓文化交流企画 『ペール・ギュント』

 ストップモーションが美しい。天鵞絨の赤い緞帳が開くと、そこは荒涼とした河川敷のような景色、上手と下手を堤防や橋梁によくある巨大なコンクリートの壁が遮っている(グエムルを思い出した)。奥からスローモーションで群衆が出てくるが、そのスローは日本で見慣れたそれより早い。そしてストップモーション。絵画のように構図が決まっていて、絵画のように微動だにしない。陰翳あるストップモーションの度にはっと息を飲み、感心するのであった。

 『ペール・ギュント』はノルウェーの寒村の貧しい青年が、大きな望みを持って遍歴し、様々に人生を生きる話である。まあ、いっちゃうと、なんかリアリティを持ちづらい戯曲なのだが、今日のこの芝居では、このセットと物語が撚りあわされることによって、重層的でダイナミックなものになっていたと思う。

 トタンのあばら家が押し出されてきて、おっかあ(オーセ=マルシア)とペール・ギュント浦井健治)がとてつもないほら話を始めるその時――そして森に放逐されたペールがソールヴェイ(趣里)を抱え上げる、その時――周りの殺風景な景色が、まるで恐竜の背中に乗せられて水の中からせり上がってくるように見え、全てが漢江の岸辺の、貧しい浮浪青年の物語の中に入ってしまう。逆にこの浮浪の人はペールに身を変えて世界を彷徨するのである。出る道も入る道も同じように狭い、連綿と続く歴史の中でほんのひととき、「自分」として「私の番」を迎え、消え去っていく男の運命は、実は女に握られている。しかし、ペールは、救うように、あやすように、呪うように呼ぶソールヴェイの手をすり抜けてゆく。

 韓国人俳優のつかう日本語が完璧。マルシアのセリフのどのトーンも美しく、浦井健治は物語の結構を過不足なく支える。でも精神病院のシーンで、物語の主動因を見失い、心底迷子になった。