本多劇場 伊東四朗生誕?!80+3周年記念『みんながらくた』

 コメディで呼吸(いき)を合わせるっていうのは、むずかしいもんだなと、それぞれの俳優の息の仕方を観察するのであった。

 まず、出色だったのは堺小春だ。誰にも合わせず、自分の間合いで堂々と息をしている。一個人である。その結果、マッチングアプリでサクラをやっている女の子が、生き生きと自分の立場を主張し、自分中心の伸び縮みする時間を生きる。164センチだそうだが、ずっと大きく見えた。ところが呼吸を合わせて笑いを組み立てるチームプレイになると、てんでまだだめです。「おじいちゃんがもらいなよ!」というシーンなど、演出家はいったい何をしてたんだい、と思うほど間合いが外れている。この芝居には伊東四朗とかラサール石井とか出てるんだから、よく観察して。教えてもらおうとしても無駄だよ、「できる人」ってなぜできないかわからないことが多いもの。逆に伊東孝明は、きちんと古道具屋のおじさんを演じるけれど、合わせすぎていて、自分の呼吸が足らない。もっと勝手に息をするようにしてほしい。電線マンのこたつの上に飛び乗った原点(と勇気)を思い出せ。

 私が笑ったのはぴくりともうごかないがらくたや主人の伊東四朗と、熱いお茶を平気で飲む千代田麻子(竹内都子)である。リサイクルショップを巡るお話は傘を開いた新米軽業師がおっとと、とよろけながら綱渡りするように、見ているこっちをひやりとさせながら辛くも向こう側へ渡りきる。筋が弱いし、何故仏像を3万ぽっちで売るのかちっともわからない。伊東四朗、一か所台詞飛ばしたね。看板なのだからもっとぴりっとしてほしい。この芝居、皆が皆心に小さく闇を抱えている設定なので、ばくち打ちの父親(ラサール石井)はじめ、暗さのよぎる演じ方じゃないとね。