TOHOシネマズ渋谷 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

エヴリン・ワン(ミシェル・ヨー)は夫のウェイランド(キー・ホイ・クァン)と共におんぼろなコインランドリーを経営している。税金に監査が入り、彼女は自分の申告を見直さなければならない。経費には「カラオケセット」がのん気に計上されている。(交際費、福利厚生費、医療費、それぞれがそれぞれの宇宙を持っているみたいだね、税金。)その上中国から年老いた父(ジェームズ・ホン)がやって来る。ピンチ!エヴリンは「見捨てられ」、「見捨てている」。父は女の子である彼女を簡単に手放し、彼女はかけおちで父を見捨てた。エヴリンはまた、夫を見放しており、夫もエヴリンと別れようとしている。自己肯定できない(「闇落ち」した)むすめ(ステファニー・スー)を愛しているけれど、何も成し遂げられない自分を見捨てているエヴリンにとって、愛はたやすくない。それは憎しみや束縛を隠し持っているからだ。突然、別の宇宙から来た男に変貌した夫は、マルチヴァースを救えるのは君だけだと言い出すのであった。映画は多元宇宙を十二単衣のように着こんで、カンフーや活劇を演じる。たくさんの宇宙でそれぞれを生きるエヴリン。途中、いったいあたし何を観てるのだろうと思ったり、さっぱりついていけてないと思ってがっかりしたりした。これ、十二枚の着物(?)を貫く糸が見えにくく、一つ一つの宇宙が税金ほどもレイヤーに見えない。なのに、終わりが近づくと、マスクがかゆくなるほど涙出た。ふしぎ。ここがあたらしいの?親切に、と夫が叫ぶ、親切は「断念」「理解」を含んでいる。ある種の断念、諦めがないと和解ってむずかしいが、この人たちは、誰一人として和解してない、「和解できない人々」なのだ。愛と理解と断念が大団円を運んでくる。大きな世界を動かす小さな人々の物語である。ステファニー・スー、泣きすぎです。