新宿・紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA 劇団民藝『カストリ・エレジー』 

 えー、これ30年前に、鐘下辰男が書いた作品?ちょうどそのころ、ゲイリー・シニーズジョン・マルコビッチの、『二十日鼠と人間』観たなあ。スタインベックの原作に、鐘下が付け加える人間の複雑さ(戦争で日本人の負った傷、負わせたことでまた負う傷)が、この芝居に深い、克明な模様を刻み、人々は身体に灼きつく苦しみを生きる。そしてそれは決して見せないように図られる。けれど隠されたその傷は、いつでもちょっと、長袖のシャツの下からちらりとする入れ墨のように覗いてしまうのだ。ここが肝要じゃないかなあ。戦時中なにをしていたか、戦後何をしてるかは、登場人物のたたずまいから知れる。特に吉岡扶敏のシベリアは、実感を持って演じられている。戦時に軍隊での位置が高かった男。戦後の今、すべてが軽く感じられるし、女も信じられない。虚無感。けど今日の芝居では、最後にラジオの上に顔を伏せるとこの感情がよくわからなかった。カタチ先行でしたね。みやざこ夏穂、パンフレットに載っている役の分析がぞっとするほど完璧なのに、舞台にちっともそれが出ていない。全体にみな怒鳴りすぎじゃないの?静かに会話してても十分スリリングな場面が多いよ。怒鳴ったりキイキイ言ったりするのは、アプレゲールの黒木(本廣真吾)が引き受けたらいいと思う。アクション、形が悪い。この脚本、「女がみな悪い」となりそうなところを巧みに回避している。「女が一人の人間として扱われない」という苦しみを「黒木の女房」(飯野遠)に背負わせているからだ。飯野、もっと台詞流ちょうに。台詞で舞台を支配する。

 ケン(齊藤尊史)が自転車持ち上げるとこ、テネシー・ウィリアムズみたいだよね、みたいにね。セックスする、セックスできる、セックスできないって、「昔」はもっとすごいことだったんだからさ。ゴロー(阪本篤)がもうすこしむじゃきなほうがいい、この人が芝居の芯なのに、そう見えない。なにもかも忘れてしまう「無地」があるから紋様がはっきりするんじゃないの?