御園座 『片岡仁左衛門 坂東玉三郎 錦秋特別公演』

 名古屋の駅に降りたことはあったけど、名古屋の街に出たのは初めてさ。もー、駅前の「大名古屋ビルヂング」の威容と(でかい)、「大」の矜持にちょっとおどろく。ええー、そんなこと、なかなか自分じゃ言えん。すごいビルだけどさ。御園座に『東海道四谷怪談』を見に来た。仁左衛門民谷伊右衛門と、玉三郎のお岩のために来たのだ。

 御園座は朱色の床や座席と、ベージュ、生成り市松模様の壁がよく映りきれい。大胆な色だけどいやではない。ただ、ここ、どんな服着ていったらいいかしらと少し思う。むずかしそうだね。開場前に切符売り場でパンフレット(筋書?どっち?)が買えて、開場するまで熟読する。仁左衛門玉三郎の長いしっかりしたインタビューがついていてお買い得だ。仁左衛門は孝玉と対で呼ばれた時代のことを謙遜して言うけど、浮世絵みたい、絵のようだよね。それを今日まで保っているのは、仁左衛門玉三郎も立派。

 今日の演目『東海道四谷怪談』は、かたき討ちとお家再興をねがう與茂七も、悪党直助も、お岩の妹おそでも出てこない。筋がすっきりしている。台本まとめた人上手だなあと思うのは、そのことによって、「民谷伊右衛門の本音」が芝居の真芯に来ることだ。

 たとえば民谷の家に代々伝わる「そふきせい」という唐薬を盗んで逃げた小者小仏小平(中村隼人)は、旧主のために盗んだ、「忠義のため」だから許してくれと伊右衛門に頼むが、伊右衛門は許さない。盗みは盗みだ。という。この伊右衛門の料簡、忠義がどうした。って感じね。お岩はひどい夫だとわかってはいるが、殺された父の敵討ちをしてもらうために伊右衛門といる。しかし、伊右衛門は、敵討ちなんかいやになった、古臭いと言い放つ。親の仇もあんまり古風。だって。歌舞伎の世界観をひっくり返し、江戸時代の美徳を軽く見る。小仏小平もお岩も、忠義や孝に凝り固まってる、と思っている。だからこの人、当時の「悪」なんだねー。本音がねー。本音は、もう一つの本音といえるお梅(片岡千之助)の伊右衛門への執着、その執着をかなえようとするお梅の祖父伊藤喜兵衛(嵐橘三郎)の金ずくの「力」と結びついてこの芝居のなかの暴れまわる動因となってゆく。伊右衛門の本音の、「色と欲」のせいで、お岩は苦しい受難にさいなまれる。

 …ってことになってるのに、伊右衛門の本音が怖くない。声はいいよ。舞台を統べている。けど、掛け値なしの生地の心が見えん。それが一番怖いはず。「ずっかり云ふ」っていう、まじの白刃がない。そうしないと今日の芝居の最後の台詞の、「執念ぶけぇ奴らだナァ」のピカレスクな感じが生きないじゃないですか。

 小仏小平、もっと忠義に、もっと必死にならないと、鬢の毛抜かれたり、指折られたりしちゃうんだよ。 千之助、声でていたねー。でもお梅も、けっこうな女の子じゃない?「あれほしい」と思ったんでしょ。「買っておくれ」と。

 お岩さんは具合が悪そうで、立っているのがつらそう。めまいがしてそう。でも姿が美しくてよかった。鉄漿つけるとこが怖い。今日は伊右衛門の話と思ってたのか、さらりとやっていたように見えた。宅悦(片岡松之助)三方でてんてこ舞いするとこが今一つ。見舞いに来たおまき(中村歌女之丞)がすっと帰るとこよかった。

 

神田祭

 踊りを見るたび思うのだが、清元に字幕スーパーつく日も近いね…。歌舞伎座の一階だと詞章が聴き分けられるけど、他はむり。それか筋書(パンフレット?)に歌詞を全部書いてほしい。せっかく歌詞の通りに踊っているのに、わかんないんじゃつまらないよ。

 踊りは祭りでほろ酔いの鳶頭(片岡仁左衛門)と、その想い者の芸者(坂東玉三郎)、どの位置取りで並んでも、とても様になっていて、うつくしい。ひた、ひた、ひたとキマル。芸者がかんざしで恋人のそそけた髪を直してやるとこもいいが、そのかんざしをぽとんと落とすとこも、二人の関係性が見えて、可笑しくかわいい。芸者の着物の裾が粋な感じにひろがっている後姿も素敵だし、鳶頭が赤い片袖を出したり、素肌の入墨になるとこもよかった。立ち回りもきびきびしていた。明るく楽しい一幕だった。見飽きなかった。