博多座 二月花形歌舞伎 『江戸宵闇妖鉤爪』『鵜の殿様』 2024  

「あ、ちょちょちょっと待ってて、いま読んでる本佳境だから」と江戸川乱歩『人間豹』の画面の上に出た「着信」の赤と緑の丸に慌てる。いやーおもしろかった人間豹。これ舞台、しかも歌舞伎にしたくなる気持ちわかる。妖しくて怖く、そしてその妖しさと怖さが妙に奇麗。エログロナンセンスの大正時代を、うまく江戸末期の頽廃の中に移植して、明智小五郎松本幸四郎)も恩田乱学(市川染五郎)も、景色が変わったのに気づかず疾走してゆくみたいだ。奇怪な爪を際立たせる黒い服を着て、哄笑するたびに深紅の口中をのぞかせる恩田は、乱歩の考えだした半分人間、半分けだものの獣人だ。

 ウズメ舞で名を馳せた人気ものお蘭(河合雪之丞)のもとに、熱狂的な贔屓がまいにち「鯉」を届けるとかも、「よくわかってる」よねぇー。いい。すこしうれしく、すこしメイワク、すこし生臭い。裏側に何か、鯉料理のプロセス(生きたまま捌く=暴れる鯉の尾が目に浮かぶ)があって、やっぱ怖いし。

 あのね、これ、リビドーの話やろ?情欲ってさ、せっかく築き上げた自分の人格、キャラクターをびっくりするくらい簡単に反故にしていく。内なる性的欲望を前にして、「あんただれ?」と欲望に問いかけてる青年たちの話やん。二枚目のつっころばし(?なのかな?)神谷芳之助(染五郎二役)と、神谷の想い人を誘拐してゆく恩田乱学、想い人とそっくりの容貌の妻お文(河合雪之丞二役)を持つ目明し明智小五郎は、同じ影が三重になるようきっちり仕立てないとね。仕立てがなー。そして、その三重になった影に、観客がぞっくり心を粟立てながら、自分を重ねなきゃ。

 松本幸四郎、いくつになっても青年のよう、青年の声。いつもかっこよく、何も問題ない。声が細らないよう、よーく気を付けるのと、冷たく白い漆喰壁のキズを、舌で感じるような、(奥行きの陰翳)が、芝居に出たらなー。

 染五郎の「おきゃあがれ」が、途中で声を裏返す「あ」でちょっと不安定。まだ18歳だから声帯が不安定なのだと思う、今は無理せず喉を大事にね。河合雪之丞が、うまく合わせてカバーしていたし。恩田の声よく出ていた。「獣人」ぽさはしぐさで出さなくていいのか。あと、なんも問題ない。宙乗りも毅然とこなし、結句、解き放たれた欲望は、あやめも知れぬ闇に音を立てない夢の花火のように打ちあがり、ひそひそと溶けてゆく。

 あと「欲望」とその「善悪」をはさんで対決する明智と恩田の明暗も、きちんと出してー。奥行きがー。

 

『鵜の殿様』

幕が上がっていく間も、大名(市川染五郎)は両手をかざして踊っている。音がすごくよく出てる、演奏立派なのさー。そういえば『江戸宵闇妖鉤爪』の新内も、その二幕の三味線の連れ弾きも、すばらしかったなあ。鵜匠の引く糸につれ、ぐいぐいっと鵜がひっぱられるところを、殿様と太郎冠者(松本幸四郎)で入れ替わりながらおどる。これ、みどころ?闊達でコミカルでダイナミックで、そして、そして、大変。架空の糸が殿様と太郎冠者をつなぎ、その「糸」が「みえる」。幸四郎染五郎はなんでもないように楽しくやる。躰が糸の方にクッと引かれ――そのとき鵜匠の手は糸を引き込んでいて――、また戻り、鵜匠の糸につれても一度体がしなう。この激しい運動量を明るく、楽し気にこなす。バレンタインデーの特別アンコールで再び幕が上がると、ふたりはずっと抑えながら小さく息を弾ませており、全力で踊りきったことがよく分かった。