劇団青年座 第231公演 『砂塵のニケ』

 青く暗いロゴが目立つオレンジの庇「青年座」。浮かれていた時もあった、めそめそ泣いてたこともある、何十年もいやってほど前を通ったけど、一度も入ったことがない劇場。今日はこの劇場の最終公演。

 中は案外こじんまりとしていて、広くない。140席くらい?

 舞台には八枚の色鮮やかな抽象画があり、一つ一つが美しく照らされている。中央には大きなギリシア遺跡風の柱が3本立っているのに、ちっともそちらへ気が行かない。陽に血管を透かし見るような赤い絵や、ちょっとターナーみたいに見える水色の絵が、様々な向きにある。上手には病院のベッド、下手には絵画修復士の冷静な仕事場が、冷静に設えられている。柱の陰にイーゼル、小津っぽい真っ赤な湯わかしがコンロに載っている。

 すぅっと暗くなり、病院の器械音が聞こえる。ベッドに寝ていた女(緒川理沙=那須凛)が左手を出して眺める。理沙は子どもをおろして自殺未遂をしたところだ。理沙を父親のいないまま育てた母美沙子(増子倭文江)との折り合いのまずさ、芝居は二人を解き明かしていく。「空っぽの空洞には戻らない」美沙子は若いある日、そういうのだが、そのせいなのかどうなのか、一幕目の一場など、セリフのやり取りがほぼ空洞なのである。劇場の大きさに比して芝居の仕方が大きいせいなのか、「空洞」を意図しているのか、判断に迷う。「こんな気持ちです」と説明してくれてはいるけど、「ほんとにそんな気持ちなのか」が感じられない。長田育恵のいいセリフが空洞化しているのを、ほとんど無残の気持ちで眺めた。話面白いのに。

 美沙子、『ガープの世界』(ジョン・アーヴィング)の「ガープのお母さん」みたいな人だったらもっと面白かったのにねー。娼婦のふりをするところ、娼婦が迫真で、娘らしさがない。かつらもいかん。