本多劇場 ゴツプロ!第六回公演 『向こうの果て』

 舞台後ろに重なり混み合う無数の根っこ、上手から三分の一あたりにすきまがあるけれどそのすきまは思い切って暗く、そこに手でさわれない、見ることもできない、闇の根が張っているように感じられる。その根のあるところは津軽だということになっている。瞽女(ごぜ)、門付け、そんな言葉が次々出て来て、昭和六十年の津軽の男や女を根に絡め取る。律子(小泉今日子)は恋人で小説家の公平(塚原大助)を殺した罪で、検事に調書を取られている。律子は投げやりに罪を認めるが、これまでに律子が関わってきた男たちの証言を取るうち検事の津田口(泉知束)は律子の人生にのめり込んでいく。…っていう話?この芝居で一番大切なのは、根にある方言だ。なのに、方言が窮屈で、豊かでない。国立国語研究所の資料とか、みた?「わ」っていう主語が、まずろくに言えてないではないですか。そして、律子の母が秘密を打ち明けるところは、深い闇のような津軽弁でなければだめだ。津田口が律子にのめり込む様子がわからん。スーツの中の身体が変わらないもん。小泉今日子の律子は故郷を出てから心が凍ってないとだめ。最後の包丁を持ち出すシーンは、ラブシーンだ。この禁じられた恋人たちはここで、肉体の愛を交わしているのだ。「私の男を、私が殺しました。」愛でしょこの台詞。ここ物凄く大事。(「あんたしぬの?」以下の台詞はこの芝居の中で一番色彩が載っていた)

 男たちが口々にこんな女だったと律子を語るのは、結局自分のことを語っているんじゃないの?娼婦が男に5000円でいいという時、それは値段を下げてるんじゃなくて、男を値踏みしてつけた「男の値段」だったという話を思ったよ。律子は、男たちに男自身の姿を演じて見せただけだったのでは?津田口の最後の荷物は、紙袋より風呂敷がいいよ。その方が昭和です。津軽三味線、本物の音。