IMM THEATER こけら落とし公演『斑鳩の王子—戯史 聖徳太子伝—』

「戦がない世の中」について、本気で考えた男、聖徳太子明石家さんま)。先の世が見通せる千里眼をもちながら、彼は滅亡する息子山背大兄王中尾明慶)に何も言わない。戦の火種が小さく熾り、徐々に育ち、ついに秩序を暴力でひっくり返すまでの過程に、自分―息子—子孫への執着が深く根を張っていることがわかっているのだ。だから息子の死を知って、聖徳太子は大泣きに泣く。ここが大事なシーンだけどそうとはなかなか気取られないよね。それと、なんか、男と女はもともと種(しゅ)が違うねんといわんばかりの、美しい馬(音月桂)と聖徳太子との交情が語られ、ここ、こっそり笑った。すごく大きく、おおらかなかんじでいい。

 この真面目ストーリー部分を、コンパクトに圧縮してわかりやすく伝えるべきだった。煩雑で、兼ねる役が多すぎ、枝葉が茂りすぎ、場面転換の間も長すぎる。

 さんまがやりたかったのは、ギャグのコメディ部分、温水洋一と一色洋平がからむとこ、虫たちの大喜利(?)、偽聖徳太子のシーンだと劇中で本人が言っていたが、わたしはさんまに背を向けしんみりと語りだす中尾(芝居のテクニック)をわらいとばすところがいちばんの出来だと思う。一色洋平は場の空気が躰に通ってなくて、せっかく声を「嗄らす」と宣言しているのにそれも不発やん。鼻のさきで舞台の空気を感じるのだ。そこが大切。温水洋一は身体を伸ばして棒立ちになるスケッチが効いてない。腰痛のせいか体にキレもないねー。中尾明慶が、声も出て、さんまに屈さない強さもあり、とても有望。でもこの人、コメディアンじゃないよね。さんま、なにがしたかった?偽聖徳太子とのシーン面白いけど、練れてない。何より、さんまの声が嗄れ気味であることが一番問題。芸人や俳優は、出たいとか出たくないとかじゃない、声が出なくなったらそこでキャリアは終わりだ。あとさ、四年に一回芝居するとか、オリンピックじゃないんだからさ、演劇なめちゃいかん。吉本の芸人も、必ず舞台にはコンスタントに出るんじゃないの?