明治座 『50周年記念 前川清特別公演』

 「そして神戸」は怖い歌だ。疵のかさぶたを剥がすような、こちらを撃ちにくる竹刀にわざと当たりにいって、「自分から行く」ことで痛さを軽くするような感じ。濁り水に靴を投げ落とす、と歌詞は言うのだが、ぽいっと靴のように女を捨てたのは男だったかもしれず、身を投げて死んでしまいたい女の気持ちと、その靴(自分)を見下ろす冷めた泣かない女の絶望が、幾重にも折り重なって「靴を投げ落とす」に入っている。そしてこの歌詞がフレーズの最後、次の展開を呼び出す「キメ」になっているのが素晴らしい。作詞千家和也、作曲浜圭介。

 何度も聴いているうちに、こうした曲に恵まれるということが、どんなに稀有なことかを考えてしまう。歌手って、①歌がうまい②頭がいい③こつこつ頑張れる じゃだめなんだ。めぐりあわないと。そう思って、第一部の「どたばたショータイム!冷たくしないで」を見ると、納得する。売れている歌手の人ほど、「出会い」がどれほど大切か身に沁みているんだねー。大歌手「前沢清」に扮した前川清のぼうっとしている態度、紺の襟のついたシックなカーディガンに同色のパンツを合わせ、若者のようにスレンダーな姿で少し膝を曲げ、「え?」と言っているところがもう可笑しい。芝居はとっちらかっていて、どうなるんだろと思うのだが、そこは俳優の渡辺哲(声も通るし意味も一番伝わる)がものすごい力業でまとめていた。

 前川清は花道から登場するなり、「いつもよりたくさんのお客さんですね。なんかあったんでしょうね」と言っていた。共演の純烈のことを言っているのだが、あかるく、かるく、とぼけていて、笑えるし、いいコメントだ。純烈のメンバーも芝居に出ていて、そろってこけるところなど、一生懸命だった。

 2幕「長崎は今日も雨だった」をショッキングピンクのスーツで歌う前川清、「長崎はぁぁ」と、伸ばすところでマイクを少し下げ、そこが懐かしく、かっこいい。

 純烈のトラブルを聞いて前川清は「もうかったー」と思ったといい、それが関西や関東出身の純烈に伝わらない。それお金の話じゃないのよ。九州あたりでは、「得した」「ラッキー」っていう意味。名を遂げた九州出身の男の人って、中年ぐらいから九州弁がばんばん口からでて、気にしない傾向がある。前川清もそのようだ。紅白出演が決まっても泣いたことないといって、「歌すきじゃなかったもん」。それ、極めつけの佐世保のおじさんの台詞だね。笑った。長崎のクラブで歌い、食っていければいいと思っていた。人様に自分の歌を聞いてほしいと思ったこともなく、それよりお金が欲しかった。田舎の若者の切実な気持ちと、あっさり巧く歌が歌えてしまう自分の才能への戸惑いが匂う「歌すきじゃなかったもん」である。

 それから純烈とかわるがわる歌う「この愛に生きて」。一曲が別々の曲に聴こえる。純烈の白川裕二郎がうたうと、セロファンで包んだ花束のようで、前川清がうたうと、ざらっとした、胡粉かなんか塗った紙を指でたどる感じ。アパートの透明プラスチックのきらきらしたすだれ、若い女の白いくるぶしとか見える。前川清は自分の歌う番が済むと、ちょっと気楽になったようにコーラスをつける。

 いちいち口上が可笑しく、「一人になってからの歌も我慢して聞いてくださいね」とざっくばらんにはきはき言い、福山雅治の作った「向日葵」など。バンドのそばで水を飲み、そっとハンカチを口に当てている。歌に関しては繊細だ。上手に向かって歌い、下手側で歌い、中央で最後まで歌う。「男と女の破片」、一番は完璧、二番はちょっと残念、こういう所かなあ、マネージャーが「惜しいなあ」「練習ではうまいのに」というのは。

 3幕ではオールデイズを歌う。純烈、松居直美、息子紘毅と、どーんと派手に歌ってさっと引っ込み、紘毅が残る。「花束」という曲を歌う。少年のような、掠れた、甘い声だ。すこし、アニメっぽく感じる。私の言うアニメっぽいというのは、(他所事に聴こえる)という意味だ。自分のジャンル、自分のリミッターを越えて、攻めてきてほしい。まだ、めぐりあってないんでしょ。君のために生きるって、信じにくかった。それから純烈が3曲歌う。1曲目の音程外しても顔色変えず歌い切り、えらい。純烈はショウアップしていて、客席まわってきゃーっといわれていた。そういう位置から一歩一歩たたき上げてきたグループなのだろう。体の弱そうな少女が一生懸命ペンライトを振っていた。それから松居直美がやっぱり三曲歌い、観客を笑わせる。この人って、世の人の眼より、1ミリ嵩高に自分を評価していて、その1ミリのずれ、1ミリのお姫様っぽさがすべてを台無しにしていると長年思っていた。そこがなければ立派なコメディエンヌなのにさ。ところが、34年の芸能生活、結婚、子育て、離婚が彼女を変えていた。きゅっと集中して「ガラス坂」「はぐれ草」「涙の連絡船」をうたい、笑わすところは笑わせ、聴かせるところは聴かせる。とても受けていた。「おじさん足ずっと見てるけどさわっていいよ」っていうとこが、ちょっと辛くて、涙出そうになった。消えたはずの1ミリの差が、幻のように負の方向に出ちゃっている気がしたよ。

 水色のスーツに着替えた前川清が「雪列車」、それからヒット曲を2コーラスずつメドレーで歌っていく。

 「そして神戸」を全部うたったのだが、下手の花道で、手を振ったり、にこにこしたり、投げキッスしたりしながらの歌唱なのに、声だけ聴くと、「そして神戸」は厳然と悲しい絶望の歌として成立しているのだった。右手と左手で違う字を書いている人みたい、最後は「マイ・ウェイ」、辛抱強く、手斧で木像彫ってるみたいな前川清ショーでした。