Bunkamuraザ・ミュージアム 『写真家ドアノー/音楽/パリ』

 パリの心臓のすぐそばに、じめじめした湿っ地があって、その水気の多い泥の中から、ねじれたほそい茎を伸ばして白い花が咲く。――流しのピエレット・ドリオン、パリ1953年2月。

 まるで湿気で湾曲したように見えるアコーディオンを肩にかけ、コードを押さえて誰かを見つめている。(それは相棒の歌手マダム・ルルだろうか、)流行の眉が、大きく、吃驚したように弧を描き、首に巻いた薄色のスカーフや、手前に立つ人物の厚手のコートが、2月のパリの夜の寒さを伝えてくる。いくばくかの小銭を得るために盛り場をまわる彼女を映した映像も残っていて、そこには若い女であるピエレットの年相応の笑顔も収められているのだが、ドアノーのピエレットは決して笑わない。この一連のピエレットの写真には、今日見たドアノーの写真の中でも、何か特別深いもの、口で言えないものが写っている。ピエレットの顔は美しいともいえ美しくないともいえる。少女のように見え、青年のようにも見える。羽根を背負った天使であり、寒さに耐える一人の女である。一言でいっちゃうと、ここには謎が写っている。スフィンクスのような謎、パリという謎だ。ピエレットの丸っこい手から、にごった和音が響き続ける。こんなところまで、ドアノーはパリに肉薄するのに、有名歌手を撮り始めると、とつぜん音楽は消え、魔法が失われたかのように感じられる。「ジュリエット・グレコ」「イヴ・モンタン」、見る側が「知ってる」ことが、なんか残念、なかなか重い命とりである。

 ピエレットが無遠慮に鳴らすアコーディオンの音は、「パリ祭のラストワルツ、パリ1949年7月14日」にも微かに聴こえた。真夜中、「小さな男」とスカートを翻して踊る女、何か少し謎めいたものを感知する。私の中ではこの二枚の写真が白眉、モーリス・バケとの実験写真は、全然趣味が合わなかったのだった。