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世田谷パブリックシアター「ドレッサー」

メビウスの帯。紙テープを一回ひねって、もう一方の端に糊付けするとできる輪っかの、テープの真ん中を鉛筆でたどっていくと、あら不思議、表と裏がありません。

 「ドレッサー」は、そういう芝居に見える。

 腹に響く爆弾の炸裂音の中、今日も舞台が幕を開けようとしている。主演の座長(橋爪功)はひどい鬱、着付け係兼付き人のノーマン(大泉洋)は、おだてたりすかしたりしながら座長を舞台に上げ、戦時下の人手不足をおおわらわで乗り切ろうとする。

 舞台は三層に区切られる。舞台一番手前に楽屋。この楽屋のドアを開けると細い道、向かいの劇場の壁と入り口が見える。上手のほうに別棟の楽屋。この道でも会話が行われる。劇場の壁の向こうに上手の袖。それぞれ転換がスピーディでよく考えられたセットだ。

 座長は、大波や小波のように押し寄せる鬱と戦いながら、何とか舞台をつとめる。演じるのはこの芝居の「表」、リア王である。ノーマンが座長を励ます姿は、リア王に付き従う道化のように見える。コーディーリアを演じる座長夫人(秋山菜津子)も、必死に座長を守ろうとするが、実は彼女には裏の顔がある。王冠を運ぶ若いアイリーン(平岩紙)にも、役を狙う別の顔があった。もちろんノーマンも例外ではない。彼は座長を愛していて憎んでいる。愛憎が表裏をなす。だが彼には裏と表を一つにつなげるウィークポイントがある。座長なしでは存在できないのだ。座長を失うことへの焦燥、悲嘆、衝撃が、この芝居を成立させる。育ちが悪そうには見えないが、ノーマンの座長のまねがいい感じにうまい。愛情が十分に読み取れた。

 最後にノーマンが道化の端唄をうたうと、舞台の一番奥に、さっきまで座長が喝采を浴びていた赤い緞帳が、遠く暗く見える。芝居の裏表がきれいにひっくりかえってつながった感じがするのである。