東京芸術劇場シアターイースト 劇団民藝+こまつ座公演『ある八重子物語』 

 水谷八重子の芝居は昔よくNHKでやっていたけど、子供にはそれほど面白くなく、チャンネル変えがちだった。しかし、大人になってから、水色の着物を着て体をそっと折り、振り向いている舞台写真を見て、吃驚した。それこそ「臈たけた」、「愁いある」美しい人だったんだね。

 客電が落ち舞台が明るくなる、下手の土間の台所に後姿で女中の田中清(中地美佐子)がタン、タンタンと包丁を使っている。うーん。中地美佐子、気が上がっちゃっている。重量が足にかかってない。このお清という役は体重が大切。芝居のアンカーにならないと。ふざけて「滝の白糸」をやるところも、足が3センチ宙に浮いてるから面白くない。重力を感じる。足の裏で呼吸だ。

 どの俳優も柄(がら)はきちんと脚本に照準を合わせているけれど、うまく働いていない。篠田三郎、柄は言うことない、品があっておっとりしているやもめのインテリ開業医だ。だが序盤の芸者花代(有森也実)に問いかけるところがまずい。一直線にトライしなくちゃダメ、そこはちょっと変わった人じゃないと、あとで反省もすることだしだいじょうぶだ。周りの役者も、ええっと驚きながらちゃんとタックル(ひきとめる)するようにね。有森也実も柄はいいけど声がなー。職人だった父の話をするところで、心と声がほんとうには暗くなっていないので「それがどうした」と、思ってしまう。先生が寿司に手を伸ばすところも、暗い声でばしっと止められないので、すーと手が伸びちゃう。

 一番まずいのは芸者の出の着物が足りないので大急ぎで着替えるシーンだ。何が起きたのかよくわからない。新派の俳優二代目小森新三役のみやざこ夏穂が達者でユーモラスだが、スタンダードがこのくらいじゃないと、この芝居成立させるの厳しいよ。

シアタークリエ 『オトコ・フタリ』

 おおよそ200人の人物を動かして『篤姫』の台本を書き、ヒットさせた田渕久美子だけど、わずか3人の登場人物による2時間弱の『オトコ・フタリ』には手古摺ったようである。大体、この企画、どういうの?ミュージカルスターによる楽しいおまけ的な何かだったのか。ゆるい。ゆるいよ。演出の山田和也の「がんばらないことをがんばる」という、途方もなく難しい課題を、山口祐一郎保坂知寿が、きちんとクリアしているのには感心したが(「がんばらない」と「がんばる」は初めから、全く別のものである)、前半のゆるさはただ事ではない。田渕久美子は整地して家を建て始めるが、そのやり方は注意深く見え、水平な、しっかりした家ができるのかなーと思わせる。ところが、下目板をゆっくり10枚張ったところで、急にどーんと屋根が来る。棟には輝くロマン・ロランの名言、「男は作品を創るが、女は男を創る」。えー。男は創りたくない。作品創りたいよ。(この人ポール・クローデルの親友。きっとクローデルのお姉さんどうなったか知ってるよね)浦井健治は「軽薄」を演技として昇華させられないままなので、台詞がとても薄いのが露見する。山口の演じる画伯が、かなり目まいしてるのに(山口祐一郎、やりすぎ)浦井が見逃す演出もどうかなー。

 一番いいシーンは、大きく手を動かして実際に絵を描く山口のタッチと、そのタッチに寸分の狂いもなく接続して出てくる山口の歌である。この脚本はひとことで言って無理がある。そのため役者の力量がメジャーで測るようにくっきり見える。役者がこの空間を埋め、無理を道理に変換し、充実させる責任を負ってしまってる。それならそれで、3人とも、もっと気合い入れないとだめ。気合いを入れて、芝居を救うのだ。

紀伊国屋ホール 扉座40周年★withコロナ緊急前倒し企画『10knocks~その扉を叩き続けろ~ 10歓喜の歌』

 見たところ1200円はしそうな立派なパンフレットが只。皆口ではいろいろ言うけれど、実際に無料にするというのはとても難しい。だって興行だもの。偉い。ひとしきり扉座の果断に感心し、すごいなーと思った後で、芝居(リーディングだけど)を観て考え直した。パンフレットただ。それはやばいよ扉座。一番まずい。

 何故ならリーディングの空気が、とても微温的なのだ。ずっとついてきてくれている観客が温かく優しく、いろんなシーンで笑ってくれ、手拍子はあつく激しく、カーテンコールはダブルでスタンディングオベーションだ。リーディングだけではつまらないだろうという微温的なサービスか、皆きちんと扮装しているのだが、その優しさが仇となり、誰の衣装も似合っていない。着こなせてないよ。(仮)と書いてあるのが目に見える。特に佐々木このみの赤いリボンと江原由夏の白い眼鏡はひどかった。衣装が似合ってないだけではない、どの役も、背中に(仮)の字が浮き出している。これは劇作にも問題があり、LGBTだの日系三世だのの出し方が、結局間に合わせの(仮)でしかない、賑やかしでしかない。脚本が(仮)だから演技が(仮)になり、演技がぬるいせいで脚本がぬるくなる。女同士の争いを男がエンタメにするというのも久しいよ。中では当たりくじを巡る鉄火場のような商店街のやり取りが面白く、山村主任の犬飼淳治は健闘した。

 開演前に主宰の横内謙介は、いろいろ大変な中頑張っていることが如実にわかる挨拶をし、ドイツの文化大臣が文化は我々の生命維持装置だといったという話をしていた。あったりまえだあー。生命維持装置だよ。文化、それ以外の事、特に人に言いたいと思ったこともない。但し、それが面白ければの話だ。そこんとこの客の厳しさ、1200円分欠いてるよ。

有楽町朝日ホール イッセー尾形一人芝居 『妄ソー劇場すぺしゃる 2020』

 お湯の出るカランと、上等の一枚で水気がふき取れるペーパータオルを完備した洗面所のある、ここは有楽町の朝日ホールだ。

 会場中央の両端に華奢なカメラが据えてあり、記録用かと思ったら、暮れにテレビ放送すると最後にイッセー尾形自身が軽い感じで言っていた。

 こないだ練馬で観たのと同じネタが5つ、違うのが2つ、すでに観たネタの方がおもしろいのだった。特に「メガネっ子」「MAP」「女中さん」。「メガネっ子」は練馬と違い、躰に物を言わせない。しかし、彼女が目の不調のわけを知って愕然とすると、コップの中に一人の女の過去と未来が、ちゃぽんと浸かっているような気がするのだ。同級生のイイジマタダシがちょっと好き(だったと思うのだたぶん)だった過去、ちょっと好きだったなあと思う現在(未来か?)、大学進学で上京する親友ナオコに乗馬について説く「時間」には、中年女のような可笑しさが顔を出している。最後は鋭い刃のような一撃で、世界の断面が見える。初見の「処方箋」、面白いんだけど薬局の男がほぼ動かない。架空のマスクをつけたり外したり、目で芝居したりの連続で、朝日ホールの後方席ではきびしいよ。凝り固まった「ジェンダー観」に混乱を与える「ひとみちゃん」のあと、立体紙芝居屋のおじさんが、やたら「舐めんなよー」と言いながらの「雪子ちゃんの冒険 Ⅲ」。でもなー、舐められちゃうよなー、ていうかなめちゃうよこの散らかった感じ。顔の上半分を紙粘土のお面で隠し、控えのお面が多すぎて「えーと、」となってる間が長い。後方席なのでお面と顔が一体化して見えるとこはよかったが、時ならぬ時に後ろを紙人形が通過して、イッセー尾形が「いい、俺がやる」ともう一回紙人形を操っていた。イッセー尾形、「スリリング」を味わっているのか?

世田谷パブリックシアター シス・カンパニー公演 『23階の笑い』

 フリーザーから出したばかりの仔牛のあばら肉で、奥さん(さいしょの)にぶんなぐられそうになった(いや、なぐられた?)ニール・サイモン(そのわけは出世作『裸足で散歩』などで、夫の台詞を読めばわかる)は、こんな芝居も書いていたんだね。

 1953年、マッカーシー上院議員赤狩りと称し共産党共産党ソビエトぽい人、そのように感じられる人を追い落とし始めるころ、ニューヨークの高層ビルの23階の一室では、7人の放送作家が、1本の番組のために、知恵、センス、ウィットを競って台本作りをしていた。彼らの上に君臨するのは90分のバラエティショー「ザ・マックス・プリンスショウ」の主役マックス・プリンス(小手伸也)だ。皆は彼を「大将」と呼ぶ。マックスはカリスマ、傑物、笑いのセンスは一流で、機嫌が悪いと作家たちは縮み上がるが、心の底では皆を愛し、皆に愛されている。

 小手伸也、もっとぶっきらぼうで、王様でいいよ。パンフレットで「主役」とプレッシャーをかけられたといってたけど、小手伸也が王様でないと、「芝居の天井が低くなる」のだ。他の人が窮屈だ。カリスマになれ。例えばミルト(吉原光夫)が奇抜な格好をしていて、野放図に見える男なのに、マックスの前ではおとなしくなる。あの野放図よりもっとスケールでかくないとだめだよ。それが「みんなのため」なのだ。松岡茉優って人が私には今ひとつわからなくて、それは松岡茉優がばーんと自分を押し出すタイプでなく、一歩引いて受けの芝居が輝く性分だからだろうと想像する。でも…ちょっと押して。50年代、いや60年代も、スヌーピーに出てくるチャーリー・ブラウンの妹が、「専業主婦になるのに算数がいる?」と皮肉な調子で言ってた時代に才能で世に出ようとしてるんだよ。ヘレン(青木さやか)との差がよくわからん。

東京芸術劇場 シアターイースト パラドックス定数 第46項 『プライベート・ジョーク』

 パラドックス定数、熱烈なファンがたくさんついている。終演後、脚本を買い求める女性の長蛇の列をみれば、わかります。しかし、何故こんなに人気なのかはわからない、世界には細緻な知識とその披瀝を楽しむ人たちが多いせいなのかな。この『プライベート・ジョーク』は以前観た『骨と十字架』より段違いにいいです。前作がただ「知識の披露」だったとすると、この芝居は演劇的に「なにかしようとしている」。溶けた時計のように時空は歪み、先へ、後ろへと登場人物を揺さぶる。映画作家B(井内勇希)、詩人L(植村宏司)、画家D(小野ゆたか)は、ひとつの学生寮に、同時期に住んでいた。そこへ、学者E(加藤敦)、画家P(西原誠吾)という、同時代の巨人が訪れる。役者の芝居が丸まった花びらのように閉じ気味で、まるで空の星々のよう。そういう意図でつくっているのだろうか、観客には不親切だ。「このやりとりを、見たいものは見よ」といってるみたい。作者の手腕に比して、役者はちょっと落ちる。特に学者Eと画家Pの空間に、詩人Lの詩が入ってくるところ、全く盛り上がらない。ここは芝居のこころだ。体質として「知識」に引き寄せられる、という作家の事は理解できる、自分もそうだからだ、だがその体質を割って出てくる「こころ」が芝居に薄いのは、重大な欠陥(作劇と演出の)と言えるだろう。

 あのー、Pっていうひと、書いちゃうけどピカソ、西原誠吾の前髪が左耳の前でかすかにギザギザになっていて、「ああっ、ピカソやん!」とちょっと笑い、かわいく思った。そういう冗談の心はあるのに、若者たちの一場が全然バカっぽくかわいく見えてこない。たぶん、役者がもう十分分別のつく年頃であるせいかもしれない。役者、がんばれ。前髪誉められてる場合じゃないよ。

Bunkamuraザ・ミュージアム 『ベルナール・ビュフェ展 私が生きた時代』

 「あー、はいはい」ビュフェのポスター、ビュフェの絵葉書、ビュフェのリトグラフを見るたび、足ばやに通り過ぎてきた。「絵が黒い→ビュフェとわかる→無視する」の連鎖反応。まあビュフェの黒も、一筋縄ではいかんということが、このたびのビュフェ展でわかりました。はじめてビュフェの前で立ち止まった2020年初冬。

 ベルナール・ビュフェは1928年7月10日パリ生まれである。父は会社(鏡を作る)の社長であったが、生涯ビュフェとは冷たい関係だった。ビュフェは母を愛したが、その母も彼が画家として認められ始めたころに早く死ぬ。孤独と死がビュフェにつきまとう。ビュフェの絵はまず、そのシックな「灰色と栗色」で注目される。『肘をつく男(1947年)』をみると、落ち着いた具象の中に彼自身が強く投影されている。全てが不均衡。画面向かって左に座る若い男の体はそっと傾き、組んだ左ひざは深く曲げられ、男の右にある机の引き出しは片方開いている。机の上のランプのほそながいほやはかすかに曲がる。不均衡の中から画家は誕生し、その歪んだ世界を矯めていた力が、いつの間にか『肉屋の男(1949)』という、吊り下げられた牛と青年という作品を生み出す。(牛の内側はグレートーンに塗りこめられ、一見おとなしいビュフェの絵の中に――牛の隣に立つ青年の中に――荒々しい赤が隠れていることをあらわにする。)今回の展示の中で、はっきりあの有名な黒い描線が見て取れるのは、『籠のある静物(1951)』のカフェオレボウルの無機質な形だ。この黒ってさ、いつもビュフェの後ろにある不均衡ゆえの「闇の眼」じゃないかなー。「闇の眼」はいつもビュフェとともにある。世界の輪郭を象る。妻アナベルが現れると、黒は迸るように噴き出して解放され、アナベルのドレスとなり(『夜会服のアナベル(1959)』)、ピエロに化した自画像(『ピエロの顔(1961)』の自己紹介的シルクハットとなる。だんだん危険でなくなる黒、黒はビュフェの影であり、水先案内人であり、仲間であったはず。しかし、後半になると仲たがいしちゃうんだよね。一時ビュフェは、黒と別れて、具象の普通の絵を描く。死の11年前、ドン・キホーテが黒い描線の鳥に襲われているのを見ると(『ドン・キホーテ 鳥と洞穴(1988)』)、なかなか画家も大変だなと思うのでした。