新国立劇場小劇場 シリーズ未来につなぐもの『私の一ヶ月』

 うーん…何をどういっていいか…あのう…言うよ。

 趣味が悪い。すごく悪い。泉(村岡希美)の夫拓馬(大石将弘)の死を、残された泉がこころの重荷として背負っている。それを、「風鈴(実物)をかける」ことで表現する。いやな気持になりました。これさ、もう表現じゃなく、説明だよ。だれもとめないの?「ふーん、死者を思わせるウィンド・チャイム?いいんじゃない?」って感じだったのかな。

 書く仕事に就きたい大学一年生、明結(あゆ=藤野涼子)が、母が自分のために一カ月だけつけた日記に「散文詩」(と自分で言う)を書き足し、母に「向かって」読み上げる、というのもどうよ。この時、母は娘に万感を籠めて感謝するのだが、この感謝の言葉こそ、劇作家の腕のみせどころでは?藤野、「書く仕事に就きたい」という台詞は、もっと心の奥底に深く沈めて言わないと、散文詩のくだりが子犬の様にはしゃいで見える。はしゃいで見えるといえば、拓馬の友人佐東藤衛(岡田義徳)が、死んだ拓馬とその家族をモデルに芝居を書くというのもあんまりだ。岡田、ここ軽すぎ。本当にそんなことをする人は、かるくない。

 作劇はとても洗練されていて、三つのシーンが同時に進行し、ぴたっと決まっている。拓馬はちゃんと謎になっており、その謎を父(久保酎吉)、母(つかもと景子)、泉が懸命に持ちこたえようとする。ここが素晴らしい。演技もいい。泉の横座りする後姿がワイエスの『クリスティーナの世界』みたいでした。

 あとさ、「ジェフリー・アーチャー」とか「アガサ・クリスティ」とか、読書歴に載せるのはもうやめた方がいいよ。みんなお菓子や水のように摂取してる。偉い人たちがこぞって『坂の上の雲』を愛読書に挙げるくらいかっこ悪いです。

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA  こまつ座 第145回公演 『吾輩は漱石である』

 「手紙を披くと、あなたの声がきこえるけれど、二度三度と読むうちに、その声は消えてしまいます。」っていうのあったよね。わたくし、この芝居を観て、そのことを考えました。

 私も(平埜生成がthe座 no.116で、本作が大好きだといっている)井上ひさしの評伝劇のなかで『吾輩は漱石である』が一番いいと思っていた。なぜなの?わからない。どうしてそう思ったのかなあ。泰平の江戸から急激に移り変わっていく世の中で、「個人」という物があるべきものとして現れてきて、そして「個」と「個」は引きちぎられるように離れて行って、「親」も「先祖」も「妻」も「朋友」も他人、それでほっとしたり苦しかったりする。開化のうしろで、明治はすぅすぅする「淋しさ」を持っていた。この「淋しさ」が漱石の作品に深く浸透していて、井上ひさしはそこを見抜いたのでしょう。どうすることもできない淋しさがこの芝居の本体で、その気配がゴドーの様に「いるけどいない」天皇を召喚し、「三千代たち」を生み出し、「猫」を発見する。この漱石のこころに井上ひさしはすんごくいい結末をつける。世界の裏側の淋しい少年(大事な役だよー。平埜生成)と、修善寺の大患を生き延びた表側の漱石(鈴木壮麻)を結びつけるのだ。失われた30分、失われた兆しを取り戻すように。

 けど。稽古一杯するうちに、皆熱心になっちゃって、熱くなっちゃって、「淋しさ(さむしさ)」が見えなくなっちゃっている。淋しさの「声」が聴こえません。最後のいいシーンが光ってこないよ。これ演出の問題では?理詰めでなく、淋しくないとね。

 賀来千香子、テレビで佐野史郎と出ていた頃と違い、声鍛えていて驚いたが、まだまだだ。肝心な大声のとこで芝居が萎む。栗田桃子もっとどかんと前に出ていいよ。おっちゃん(木津誠之)、小川三四郎(若松泰弘)、ランスロット(石母田史朗)キャラ立てる。

SCOOL 劇壇ガルバ 第4弾実験公演『錆色の木馬』

 うゎゎゎ、むずかしいやん。と思い、こんな時論理的な人ならすぐ理解できるのに、と思い、鏡に向かって、鏡を持った時のことを考える。鏡の中には、鏡を持った「ワタシ」が映り、「ワタシ」の持った鏡の中にも、もっと小さな「ワタシ」が映る。一つの鏡に、一つの地平がある。その地平に棲む「ワタシ」と「カレ(ラ)」が、小さくなるにつれて少しずつ違い、ぶれていくのならば、それっていわゆる多元宇宙だよね。この芝居の(「ワタシ」と「カレラ」)はいくつもいくつも現れ、ぐるぐるして輪っかになりそう。特に、俳優(山崎一)が内向きに(或いは外向きに)空の椅子に向かって話しかける冒頭と、さいごに外向きに(或いは内向きに)台詞を言うラストが、スパッと照応していて爽快だ。

 これわからないこといっぱいある。男1(=ツチヤ、土屋康平)って実在?男2(マサノリ―ケント伯―大石継太)ってどっちがリアル?老人が俳優ってことは、たしかなのか?どのシーンが内側?そして外側?「内」「外」ってなに?こうした解らなさのうちに「ワタシ」と「カレ(ラ)」は溶解し始め、たった一つの問い、これを観ている「ワタシ」ってなにか?っていうとこにたどり着く。「人間、生まれてくるとき、泣くのはな、阿呆どもの舞台に引出されたのが悲しいからだ」っていってるよね、だとすると、俳優が、あまりにすらすらっと「俳優だわねこの人」と観客に理解され過ぎじゃない?一歩踏み出したら一歩分だけ俳優になれば?「台詞がわからないまま舞台に押し出される」俳優の悪夢にフォーカスするのか、もっと普遍的な話にするのか、そこが曖昧。あと山崎一アイライン濃すぎでは。山崎と大石の一言の台詞がすべて血が出るように生きている。土屋康平健闘、目がマジのとこと、弛んでるとことしっかりね。木馬の造型が今一つ。

中野サンプラザ 『ベルウッド・レコード50周年記念コンサート』

 ずいぶん高低(たかひく)のあるスタンドが舞台に並び、一番上に照明をつけて、星のように光ってる。

 今日は、『ベルウッド・レコード』の50周年の記念コンサートだ。ベルウッドって、1972年に正式に活動を始めたキングレコード傘下のレーベルなんだって。70年代のフォークミュージックのスターを輩出し、LPを90枚、シングルを48枚リリースしている。高田渡あがた森魚はっぴいえんど六文銭くらいは私も知っているけれど、ちゃんと聴くのは初めてだ。

 高田渡の息子、高田漣の歌う『コーヒーブルース』がしょっぱなで、高田渡のふかふかの黒い土のようなヴォーカルに対して、高田漣は、靄を照らす光線みたいに聡明な声である。日本のフォークやベルウッド・レコードにとって、高田渡の存在はすごく大きい。高田漣が控えめに(無口に)ではあるが、コンサートの進行をつとめるのも、そのせいかも。高田渡は56歳で急死していて、西岡恭蔵も50歳で亡くなっている。なくなって時間がたつのに、彼らが「いない」っていうことが、バタフライテーブルの継ぎ目のようなひっかかりに感じられる。

 『ベルウッド・レコード50周年記念コンサート』で一番強く胸に来たのは、70年代の、「どうやって日本語をメロディに載せるか」という苦闘の歴史だ。子音の後に母音の来る言葉、それをどう音楽に乗せるか、フォークの人たちは喋るように歌ったり、語ったり、早口に歌詞を詰め込んだり、様々に工夫する。いとうたかおは、『明日はきっと』で「ふとん」という単語を強調して傘のように使う。かと思えば「明日の朝の一番列車で」は3回繰り返される。これ、ここの「音」がだいじ?次の歌詞を引き立てる?次に歌った『生活の柄』(高田渡)では、いとうたかおのバージョンだと、ものすごく切実に、「ねむれない」。高田渡の歌はどこか暢気でふわふわしているけど、人によってこんなに違うんだね。

 次に歌った大塚まさじ(ザ・ディランⅡ)は、サブスクとは全然違った。「山の…上から…かおを…のぞかせて」と、崩しまくって歌うけれど、ベテラン歌手が昔のヒット曲を歌うのとは違う。もっと破格。こういうセリフ術の前衛劇もいいかなと思うのだ。迫真である。

 次の『プカプカ』を、ネットで見て衝撃を受けた。歌のモデルになった女の人の没年不詳。歌手なのに。原田芳雄と同期なのに。中也の長谷川泰子だって、もっと来歴はっきりしているよ。

 中川五郎の歌は楷書。若い時のピュアさはないけど、きちんと歌う。四季とか新劇みたい。『ミスター・ボー・ジャングル』の歌詞が若者のそれで、老人になった今こそ、書き直してもいいんじゃないの。

 ここまでリアルタイムのフォーク歌手の歌を聴いてきたところで、森山直太朗が登場する。この人は1976年生まれ、フォークが好きでよく聴くといっていた。歌うと、森山が「フォーク」をどう解釈しているかがはっきりする。1フレーズのなかに、4対1くらいに素の語りとメロディ部分があるんだけど、素の外し方とメロディの乗せ方がものすごく巧くて、ふーん凄いなと思う。語るところも清新で陳腐でない。ただ、演奏が入ると平凡になってしまう。アカペラと、口をつぐんだときの世界の静寂が飛びぬけていた。

 そして、あがた森魚です。(『赤色エレジー』)。ちいさな五燭の電球が、あちこちに蛍の様に灯り、四畳半の小さな国を、宙に舞い上げていく。…って思った。あがた森魚の声って昔っぽい。何もしなくても拡声器(ヴォイスチェンジャー付)のように、古めかしくまっすぐ声が出る。どことなく玩具的な演奏ととてもあってる。あがた森魚の時から舞台に上がっていた鈴木慶一武川雅寛はちみつぱいあがた森魚のバックバンドだった)の演奏をする。日本語ロックの嚆矢である。「ぼくは」という歌詞が「bank wa」ときこえ、ださくなく、苦労が思われる。

 高田漣細野晴臣の「ろっかばいまいべいびい」を歌い、つぎに、なぎら健壱が、歌うとこを初めて見た。(うまいんだー)と、これまでのなぎら健壱観を反省。コミックソングの人かと思っていた。雑草にくわしい人かとおもっていた。ごめん。

 この後、伊藤銀次がデビュー曲と大瀧詠一の曲を歌い、佐野史郎遠藤賢司の『夜汽車のブルース』とはっぴいえんどの『かくれんぼ』をやった。伊藤銀次は冒頭をまちがっちゃったと言ってたけれど、曲終わりの詰まった感じの方が気になった。佐野史郎、病気快癒おめでとう、『かくれんぼ』、よくこのむずかしい曲を。この曲、手で上から伏せ籠のようにとじこめて歌わなきゃじゃない、掌が上向きに開いてたよ。鈴木茂はかっこいいプレイで、ギターを弾いてる所が鋳型で鋳たみたいにキマッテル。

 最後は六文銭で、小室等別役実作詞の曲で知っていたけれど、及川恒平ってひとが、こんな感じいい声のひととは知らなかった。及川は74歳、小室は78歳だけど、巧く歌って穴がない。六文銭の女の人は若い人で、このコンサートには同年代の「女の人」というものは出てこないけれど(当時、おんなのひと、いなかったの?)、みな和やかなコンサートでした。

池袋シネマ・ロサ 『Bridal,my Song』

 「映画を見る側に考えさせるのがA級映画であって、すべてを説明してしまうのはB級だ」(クリント・イーストウッド、『「ローリング・ストーン」インタビュー選集』ヤン・S・ウェナー/ジョー・レヴィ編著 太田黒奉之/富原まさ江/友田葉子訳)と、イーストウッドセルジオ・レオーネに言い続けたそうなんだけど、してみるとこれって、「すんごいB級だけどA級の芽もちょっとある映画」ってことになるかな。

 ウェディング・プランナーとして、スモークを焚き、二人でテーブルのロウソクに灯をともして回るキャンドルサービスや、両親への手紙の朗読など、次々に思いついて実現してゆく主人公今田(小出恵介)。今田とそのチーム――会社――は、その黎明期(昭和55年)、バブル崩壊期(平成5年)、コロナ期(令和2年)と、三つの切り口で描かれていく。

 本作で一番センスあるのは、花嫁の父にほとんど台詞が与えられていない所だ。そこにうっすら、いつかA級になるかもしれない希望を感じるね。もう一つは大きなホテルを辞めて今田のもとに来た近藤(渡辺大)の不始末のくだりの説明のなさ。そして渡辺の二回すすりあげる泣き声の深さだ。省略が効いてるし渡辺の声のリアルさで、引っ張られて小出の芝居がよくなっている。しかし小出はこれでは駄目。心が割れる顔、胃の辺りに鉄球が落ちたような顔が、カメラの前で即座にできなければいけないだけでなく、好きな仕事に邁進する男の生地――誠実や熱意――が表情を引き締めた時出ないとね。それは顔だけの事じゃない。浅田美代子が覚悟を決めて映ってるのに、カメラ引きすぎ。行儀がいい。全部きちんと説明するし。だから意外性がない。この映画に一番必要だったのは、説明するなとずーっと言うクリント・イーストウッドではないですか。

新橋演舞場 2022年 劇団☆新感線 42周年興行・秋公演 SHINKANSEN RX『薔薇とサムライ  海賊女王の帰還』

 17世紀初頭のヨーロッパに、コルドニアという小国があり、国を治める女王は、元海賊のアンヌ(天海祐希)である。悪者たちから国を取り戻したものの、十数年が過ぎるうち、隣国ソルバニアノッソの女王マリア・グランデ(高田聖子)は、コルドニア併合に向けて、すこしづつ足場を固めつつあった。アンヌに迫る危機、かつて彼女を王座につけるべく働いたジパング国の五右衛門(古田新太)が再び現れ、その脅威を除くため共に立ち上がる。

 「国」ってなに?って思った。それがちょっと大雑把であいまいで、観ていて困る。「国のため」とか結構出てくるけど、それはいったい?うちのじいちゃんやばあちゃん、若い人のひいおじいさんやひいおばあさん、一人も生き延びられなかった『火垂るの墓』の一家とか、「国のため」でえらいことになってるじゃない。と、重いことを考えつつ、意外なとこから現れる五右衛門とか、ほっそりした手足をしゅっと伸ばしてポーズをとるアンヌの変身っぷりに見惚れる。天海祐希はうつくしい。でも、その美しさがうまく集約されないのだ。風呂敷に話のパーツを入れて、一気に背負ったみたいになっている。特にラウル(神尾楓珠)とベルナルド(西垣匠)のキャラ立ちは問題だ。似通っていて区別ができない。神尾は声はいいのに、音程が怪しい。西垣の身体は、まだ人に「見せる用」の仕様になっていない。これさ、音楽劇だがミュージカルになりきれてない。一か所だけ、ミュージカルの輝きを放つのは、ロザリオ(石田ニコル)が、「もう一度考えてみて」と歌うシーンだ。前半、石田の台詞は、まだ鉋屑の様にカールしているんだけど、ここまっすぐ。よかった。

 波幕が登場するところなど、「物足りない」。たぶん難民問題が出てくるので、太陽劇団の波の迫力を思い出したせい。吟遊旅団、森奈みはる、声がキンキンしてる。早乙女友貴、あと三人ほしい。

Bunkamuraザ・ミュージアム 『イッタラ展 フィンランドガラスのきらめき』

 90年代の終わり、「北欧」が若い女の人たちの間ではやり始めたのは、みんな無意識に、北欧ミタイニナリタカッタからだと思う。子供たちにはみな整った保育園があり、老人は守られ母親は働けて、一個人として尊重され、人権はちゃんとしていて、国は情報の透明性をたもっている。ねー。そんな未来が欲しかったんだよ。そしてその希望のひときれは、恐るべき安価で、イッタラで手に入った。北欧の白い光を集めるカルティオを、若い女や主婦たちが、せまい台所にコレクションした。赤いiマークがあんまりすてきだから、シールを剥がさずに使う人までいた。私だってカルティオ持っている。ティーマもある。ガラスコップとコーヒーカップや皿であることを書かなくても、大概の女のひとには通じちゃう。日本と北欧が激しく乖離してしまった現在でも、綺麗だから皆買うし、「北欧」にやっぱり憧れているのだ。

 「イッタラ展」は、この20年、ほしかったものが会場に並び、アアルト、カイ・フランク、ティモ・サルパネヴァ、オイヴァ・トイッカ、フィンランドのデザイナーの名前と作品が一堂に会し、じゅもんのような名前を全部知ってるじぶんをいじらしいと思うのでした。

 イッタラ1881年創業で、さいしょに会場に並ぶのはプレスガラスの派手な皿(アメリコンスカ)だ。20世紀になると、ガラスには線刻とカットが施されるのが普通になる。グラスに彫りこまれた細い線が、照明を透かして影を落とす。職人技に見入る。そして…1930年代にモダニズムがやって来る。アイノ・アアルト「ボルゲブリック」(水紋)。1932年製のボルゲブリックは、一目で水の丸く広がる波紋がモチーフなのがわかる。2022年の同じ製品に比べると、コップに入ったうねうねの同心円状の切り込みが深く、ぽってりしている。濃いグリーンが、本当に泉の波紋みたいなのだ。こ、これがほしい。でもさ、この作品割れやすかったんだって。それでデザインが少し変わっちゃったらしい。

 アルヴァ・アアルトの湖のような形の花瓶(アアルト・ヴェース)は、ガラスを流し込む型にスチール製と木製があった。木型に入れると、花瓶の壁が小さく波打ち、美しさにわくわくする。

 1946年にフィンランドではガラス・デザイン・コンペティションが開かれ、一位がタピオ・ヴィルカラで、二位がカイ・フランクだったそうだ。振興を図ったんだね。(カイ・フランクはトーヴェ・ヤンソンの映画の中でも、成績優秀者として一位に読み上げられるシーンがあった…)この二人がイッタラの方向性を決めた。才能があって、創造性が深かったから。うすいガラスの可能性が試された後、1960~70年代にはガラスの質感がクローズアップされる。サルパネヴァのフィンランディアシリーズがその代表。ごつくて、重い。ダイナミックだった時代を感じさせる。

 なかでは、オイヴァ・トイッカのファウナシリーズに目が行った。わたし、小さい盃を持っている。オイヴァ・トイッカだったのね。線描きで動物が描きこまれていて、その動物たちの点々の目がかわいいのだ。私はここに5センチくらいの金木犀の枝を挿すよ。

 イッタラの製品は、スタッキング出来るので重宝している。このことも、会社的・商業的には大切な側面だったみたいだ。スタッキングできて、色がキレイで、形がキマッてる。ほしいの多いとよろよろ会場を出る。でも、イッタラ、これだけ世界中にいき渡った後、これから、どうするんだろう。50年代、60年代の製品が売れ続けた後の、これからは?

 わたし、大きいイッタラ製品買うために500円玉貯金してんの。まだ貯金箱半分。頑張ります。