劇団東京乾電池公演 『飛んで孫悟空』

 子どもの頃、子供向けの芝居をよく見に行っていた私は2つのことをおぼえた。

一、お芝居って正面向いてセリフを言いながら、後ろの人に話しかけることがある。

二、子どもに解りやすくてやさしい芝居は、大体面白くない。

今日の『飛んで孫悟空』、よかった。客2(中井優衣)が龍(吉橋航也)に望んで食べられようとし、代わりに三蔵法師諫早幸作)が食べられると名乗り出、次々に食べられると皆が言い出すところ、こわく、おもしろく、むずかしい。その面白くて難しい部分が中ほどに来、決して終盤で教訓めかないのが素晴らしい。

アナログな舞台の幕によるセット(砂山の形に吊られたタクラマカン砂漠)、するすると音もなく登場してきっちり持ち場を果たす孫悟空(高田ワタリ)の檻など、狭い空間の中で全てが「おんぼろ」で、すこし妖しく、「よく働く」。

馬のビジュアルの、もとは白かったけれども汚れた感じ、二人の妖怪(宮田早苗、八木下萌)の中華風メイクも決まっていて(工夫の跡がある)、龍の片目の出ているとこは、隣の4,5歳の子がうっすら怖がっていたくらいでユーモラスだった。

 問題は声である。前回観た『やってきたゴドー』でも、怒鳴りあう台詞が、手で無理やり折ったベニヤのように割れていたが、この芝居でも、台詞がギザギザしている。ツァーコンダクター(竹内芳織)の声がどなりすぎて割れており、惜しい。かといって、あまり滑らかにやると、子供の私が「けっ」と言っていた「子供向けの芝居」になり、むずかしいけど、そこ探ってほしい。声の分量と調節、テクスチャーのようなものがうまくいっていない感じを受ける。