浅草公会堂 『神谷町小歌舞伎』

幕が上がると二双の金屏風の前に中村橋之助が平伏している。橋之助はきりっとした声でこの興行がかなったことのお礼を言い、3年前のコロナ下に、「神谷町小歌舞伎」の構想が立ち上がったことを述べる。一か所言いそこなったけど、左右をきっとみて、お辞儀をすると降るような拍手。拍手の音がきれい。3階席でも舞台が近い。いいね!浅草公会堂、好きになったよ。

 中村芝歌蔵と中村橋三郎が、次の幕の拵えをしなければならない橋之助に代わって、ここにはイヤホンガイドもありませんからと、今日の演目を簡単に、きちんと解説する。いい解説だ。慣れないことで二人とも上がっているけど、それもちっともいやじゃない。パンフレットの宣伝までして二人は去る。

 まず、『弁天娘女男白浪』。呉服屋濱松屋に年若い娘(中村歌之助)と若党(中村福之助)がやってくる。わたしの婚礼の支度だということは言わないでね。こころえました。

 娘は友禅や京鹿子緋縮緬を見せてくれという。すると番頭(中村橋吾)が口早に手代たちに持って来いというのだが、ここんとこ、いまもあるあのお蕎麦屋さんの復唱みたいで面白い。反物を見ると娘はすぐにこれがいいと決めてしまい、なんだかここでんー?となる。なかなかきまらないじゃないふつう。てなことを考えてるうち、婚礼のことを若党は言っちゃってるし、買い物を済ませた二人はささっと立ちかかるのだが、お嬢様の胸元に押し込まれた赤い小布を見とがめた番頭たちは、すわ万引きと散々に若党とお嬢様を打擲する。けどその小布は違う店で購ったものだった。お嬢様は顔に生傷、激しく怒る若党。絶対こんな時のこんなお店の人になりたくないね。若党四十八は店の主人(中村梅花)を出させ、百両の金を要求するのだった。ん?この若党、いちいち動きが「キマッて」いて、口跡もいい。娘の手を取る時も膝をつくときも、形がきれい。これ、中村福之助?おもいっきりやってんなと感心する。えー四か月前と別人。そんなこと胸の奥できゃあきゃあいってる間に、店の奥に居た武家(玉島逸当=中村橋之助)の人、宗十郎頭巾の立派な人が、二人の正体を見破るのであった。はいっ、ここから娘ならぬ盗人弁天小僧の独壇場だ。歌之助はこの役が大好きだよね。たのしそう。菊五郎の弁天小僧を、擦り切れるほど観た。うーん。そうだろうね。でも躰に重さがゼロ。躰を通して得たものじゃないってことだ。気持ちが沸き上がっちゃって足に重さがかかってないのかもしれないが、なら落ち着いて。頭の中で再生しちゃダメ、自分の躰の実感をとらえる。

 二つ目の場面は盗賊の白浪五人男が名乗りを上げるシーンだ。歌之助が悠々と歩いてくる。足駄の履き方も手慣れたものだ。でもほかの人たちちょっとぎこちない。稽古する時間がなかったんだね。つぎの「小歌舞伎」では、もすこしそういう時間がとれるといいね。気配りしてほしい。

 ここでも、南郷力丸(中村福之助)の台詞が一番よく聞こえる。黙阿弥の台詞を消化してる。

 ここで30分の休憩、3階席には若い人、若い男の人、インバウンドらしき人もいる。「あの解説でたすかった」とかいってるよ。

 二つ目の演目は『高坏』。主人(中村橋三)に酒宴に要る高坏を持ってくるように言われた次郎冠者(中村橋之助)が、高足売り(中村橋吾)に言いくるめられ、下駄を持参する羽目になる。おまけに次郎冠者は瓢の酒を飲んで、その下駄で踊りだしてしまうのだ。下駄のタップってこれかー。危なげなく軽やかだ。橋之助、さすがの仕上がり、この「神谷町小歌舞伎」を成功させたといえる。下駄の扱い、身のこなし、ちょっと鳴りのわるいとこもあったけどよかった。

 今日の歌舞伎観ていて、「似ている」ってことについて考えた。橋之助、福之助、歌之助の3兄弟は、いまのところ、外から(ネットニュースの写真とかね)見たら区別つかないほど似ている。そして、橋之助中村勘九郎も、骨格がよく似ている。バーンとはじけて、自分自身に至ったほうがいい。「わたし自身である」って、誰にも似てないよね。