博多座 『六月博多座大歌舞伎』2023 夜の部

船乗り込みは大盛況だったと聞くのに、水曜夜の博多座客席はちょっと寂しい。福岡の人、わかっとうかなー。東京と福岡は、1000キロ離れている。1000キロ離れたところで歌舞伎が2週間興行する。すごくない?お金のある役所の偉い人とか、全員こなきゃダメでしょ。けど偉い人が「つれだって」来てもダメ、広げなつまらん。「拡散」、そして「継続」、いつも来る、それが偉い人の仕事やろ。とくにこの2023「六月大歌舞伎」、おもしろかったんだよ。

 

 夜の部の一本目は『夏祭浪花鑑』、魚屋の団七九郎兵衛が、因業な義父を殺す親殺しの演目だ。最初は人形浄瑠璃で、実際の事件の翌月舞台にかかったというジャーナルな作品だったみたいだけど、歌舞伎では、お祭りの夜、暗がりで繰り広げられる殺人の克明な記憶、って感じ。舞台は「住吉鳥居前」で始まるが、上手の社へ向かうお女中三人と、それより中央寄りの若い衆二人がほぼ同時に舞台奥へ歩いて、あれっと思った。「人出」が表現できてないやん。へんだよ。

 喧嘩した団七(片岡愛之助)は罪一等を減じられて下げ渡されることになり、月代もひげも伸び放題で舞台に登場する。舞台下手寄り背後に床屋の大きな暖簾があり、こののれんの後ろに消えた団七は、鮮やかな美しい男ぶりでもう一度現れる。男伊達って、人もほれぼれするけど、自分自身が一番自分を好きなんだと思う。その大好きな自分をより良い存在にするため、皆々男を「磨く」のだ。団七を引き受ける釣船の三婦(中村鴈治郎)もその一人だ。一寸徳兵衛(尾上菊之助)もそう、三婦の女房おつぎ(中村歌女之丞)だって、颯爽としてる。絞りの素敵な浴衣を着て、夫の喧嘩を落ち着いて見守るところもかっこいい。この人たちの間では話が早い。徳兵衛の女房お辰(中村雀右衛門)に至っては、「こちの人が好くのはここ(心)でござんす」と言い切って、顔を灼いても後悔しない。「意気地」とかそういう感じ。すぅすぅ水路を水が通る感じ。義に厚く、お主には忠義だ。けど、一歩外の世界へ出て、別の体系に遭うとからきし弱いねー。たとえば「金」。義父義平次(嵐橘三郎)は折編み笠でなかなか顔を見せないが、あの笠に、義平次がつまっているよね。古い怖い、ぼろの笠、そして、「顔で売る」「顔を売る」気勢いと対極だ。義平次は一貫して金のことをいい、駕籠に乗った琴浦上村吉太朗)も、団七のように主筋の磯之丞(中村萬太郎)さまの大事な人、とかでなく、ただの金にすぎない。「義」と「金」の戦いだ。ここには意思疎通はなく、泥田の泥が水路に詰まってる。団七は義平次に金は上げるとごまかして言ったり、顔を雪駄で義平次にたたかれ眉間を割り、物凄い怒気を表したり、「親父様を手に掛ける」ことになりそうな成り行きにすくみ上ったり、順に心が入れ替わる。ここが判然としない。すべての心持がつながって、渾然とならないとダメやん。それと、義平次、もっといびっていいよ。ことが終わり、祭りの山車が下手から上手へいくつも通り過ぎるところ、世界が二つに割れたようだった。

 愛之助が荒い息をついているその肩が、臨場感と、「たったいましてしまったこと」を思わせ、あおるように動かすからだと見得とが怖いくらいピシッとあってて素晴らしい。けど、去っていく駕籠の場所がよくわからない。戻ってこようとしている、立ち止まっている、頭の中ではっきりさせてー。そして、駕籠がどこにいるか、義平次とコンセンサスを取る。ちょっとあいまい。

 

 赤い着物がたいそう短く着付けられ、褄を取ったその下が、腕人形の服みたいに長―く見える。あれ?ここ拙くない?ちっちゃく見えなきゃじゃない?巨大羽子板を背負った少女。禿(尾上菊之助)だね。すべてが大きくつくられて、その中で少女は小さい。袖口も小さくしか開いてない。袖の開きの行き止まりに、吹き流しのような細いリボンが幾筋も付く。禿が袖を持つと、リボンがひらっとしてかわいい。銀のぴらぴらした髪飾りのなかに、追羽根が一つ隠れていて、少女はじょうずに羽根を突く。羽根を見失って、袖をふるふる振り、次にあたまもふるふる振ってみる。ここが最高にかわいい。あっという間に妓楼の門松が左右に消え、はや替えした菊之助が浅黄の下着に、黒の透ける十徳をはおって、願人坊主になって踊る。わたし、踊りいつもぼーっと見てるけど、ぼーっと見てるなりに、今日の踊りってすごいなと思った。じいさん、ばあさん、虚無僧、忠臣蔵の定九郎、与市兵衛、火にかかった鍋にあちっとなり、蝶々が出、すり鉢を擦り、親父が出る。全部虚空に作り出す幻想だ。幻術。イリュージョン。そこんとこに途中やっと気づいたのが惜しかった。「魔法だなー」と思いながら、たのしく、つくづく観れたらよかったのになー。

 

三本目は「月も朧に白魚の、」で知られる『三人吉三巴白浪』だ。三人の泥棒が兄弟の契りを結ぶ有名なシーンである。黙阿弥の台詞って、難しいんだね。なぜなら聞き逃しちゃう。音楽になって流れて行っちゃう。実感あるように「百両」って言えなきゃならないし、心の中に3台くらいカメラを持って、それぞれのカメラから、この華麗なセリフを映してないと、台詞が死んじゃうのだ。「今の心持の実感」と、「篝もかすむ春の空」の実景を見せる力と、自分の役柄の把握が必要だ。とてもたいへん。

 中では、お嬢吉三(中村梅枝)の台詞にいちばん「世界」があった。台詞の「3D地図」にぬくもりがあり、「自分」がはっきりしていた。他人を水に落としかねない人だった。でもちょっとさらさらしてたかな。和尚吉三(坂東彦三郎)はカメラが一台足りない。役柄ばーんと大きく把握してほしいし、あと鬘がも一つ似合ってない。お坊吉三(中村萬太郎)、どうしても磯之丞さまにみえちゃってさー。