有楽町よみうりホール 『ロミオとジュリエット』

 囲い込まれた私たちは戦いを見、憎悪を見、そして愛を見る。ただ見る。見るだけだ。それは「演劇」という幻かもしれないし、もしかしたら何かのゲームなのかもしれず、ひょっとすると客席と地続きの現実——ウクライナ戦争やコロナ――であるかもしれない。それでも私たちは見る。見続ける。実感のないまま。——って話かな?あのさ、音楽がいきなり、「あ、ニナガワ…」って思うほどニナガワで、ちょっとびっくりする。そして使用頻度が高い。流しすぎ。非常線やビニールが鮮烈でなく、(うーん)とおもう。お寿司屋さんの新店だって、卵焼きの配合とか、日に日に親方とは変えるんだよ、日に日に変えていいし、変わっていいのだ。

 ガチの『ロミオとジュリエット』、皆よくふんばった。しかし足らない。高杉真宙は脚立の上から台詞を遠目に見ることがちゃんとできている。つまり修辞にとらわれずロミオの感情を生きてる。しかし、修辞もきちんと伝えねばならないし、「ああ」という台詞のバリエーションが少ない。全身で表す感情の種類が手薄。ジュリエットの藤野涼子は、声の色が足らん。この作品の中でロミオとジュリエットは、「大人になる」。だったら最初は少女のようにしくしく泣いてもいいでしょう。それから、最初のジャンピングボード、愛の始まりの巡礼の台詞で「手を合わせる」しぐさが粗雑。ここ大切にやらないと次の熱愛がわからなくなる。マキューシオ(新原泰佑)のマブの女王の台詞、退屈させないけど、単にかっこいいだけの別物になりそうになってる。脚立に上がり、全体とのつながりを考える。この人ロミオ愛しているよねえ。ベンヴォーリオ(矢部昌暉)、ロミオの殺人の顛末を語るところがとてもいい。すごくシェークスピア。最後に二階の中央で二人の死を嘆く若者、誰だか見えなかったが、やりすぎだよ。最初の擬闘、スローがまずい。スローモーションじゃないもん。キャピュレット(廣田高志)、モンタギュー(松澤一之)最初声出てない。神父(石井愃一)台詞忘れないように。乳母(星田英利)、パリス(佐伯大地)との結婚を勧めるところが山ですね。大事。