TOHOシネマズ日比谷 『カラオケ行こ!』

「おもろいやん」二音ずつ下がってくる関西弁(しかも脱力)でつぶやいてしまうような映画。

 黒い細身のスーツで現れる歌下手ヤクザ、狂児を演じる綾野剛が、こちらの視線を一瞬のダレも緩みも許さず吸い取ってゆく。綾野は画面上のゆるく自由な自分を、息を殺して厳しく律する。それは精密に間合いを測られており、最終的にはギャグにつながるシーンでも、重要シーンと同じように演技される。狂児の祖父で、ちょっとだけ出る加藤雅也もよい。すこし乱れたすさんだ髪型もリアルで(ヘアメイク風間啓子)で、加藤の芝居を助けている。二人とも細緻な芝居なんだよなー。けど、綾野剛はカラオケの歌い分け、エックスの「紅」の挟み具合の亢進ぶりとか、歌のとこもっと細かく芝居したらよかったのに。綾野に比べると、ヤクザの人々の演出、画面上の扱いが、やや雑な気がした。ていうか雑。

 歌下手ヤクザが合唱部の中学生(岡聡実=齊藤潤)に歌唱指導をしてもらう話である。ヤクザは組長(北村一輝)の趣味の刺青に困っており、カラオケ大会で罰ゲーム的に施される入れ墨を逃れたい。少年はついつい釣り込まれて、ヤクザとカラオケに通う羽目になる。中にさ、うっすら互いを思いあう淡い色彩がつけてあって、そこもよい。しかし、作品としては中学時代のパートで、そして聡実少年の最後のあの台詞で締めるべきだったね。夢か現か、って、すてきじゃないのー。数年後のシーンが入るのは、いま、現実に生きる聡実少年たちのためには必要だと思うけど、そして映画は、完成度だけがすべてじゃないのだと、映画の社会性とか考えるけどさー。私にとっては、ここが、瑕瑾。原作にもこのシーンあるけど、これは別れがたい、いいキャラクターだからじゃないのかなー。答え合わせみたいだよねー。

 模様入りの傘、模様入り音叉、輝く食卓の鮭の皮と、小道具も力を発揮しているが、入れ墨を透かす白シャツの濡れ具合が、旧来のお金かけられない日本映画風で醒めました。