彩の国さいたま芸術劇場 大ホール 彩の国シェイクスピア・シリーズ『へンリー八世』

 悩みって集中力だよね。何をしていても、「それにつけても…」と悩みに戻る力、そしてわざわざ悩みの中へとまた入って行く力、集中力があるから悩みが生まれる。

 阿部寛の王さま(ヘンリー八世)は、集中力が今一つ。冒頭の暗がりから現れる王の叫びは、赤ん坊の泣き声と完全に同期していなければならないし、「世継ぎがなくば」と言われたら殺意を感じるだろうし、キャサリン王妃(宮本裕子)を引き出して、無実の彼女を責める場面では、窮地の独裁者くらい暗く、身動きもしないんじゃないかなあ。阿部寛、考えるのだ。ハンサムで189センチの恵まれた長身、でもたとえば肘先と手首の間が長すぎてニュアンスが出ない。そこはもう筋トレの範疇ではありません。所作に優美さ、繊細さが必要。

 皆思いっきり芝居をやってて、声が嗄れ気味で、なんかそろわない。もう少し台詞の意味を伝えてー。トマス・クランマー(金子大地)、儲け役なのに!声がいい人っぽくない、嗄らさない。枢機卿ウルジー吉田鋼太郎)や、バッキンガム公爵(谷田歩)の場面はきりっとしてるのに、キャサリン妃の弁明の場はどこが山かわからず、役者に負担がかかっている。演出不足。「お子がない」ということを一言も口に出さずに計らったのはものすごく素晴らしいけど、広い舞台なのにごちゃごちゃしており、淫靡すぎやん(エリザベス一世目線)。そ、この芝居観ているうちに自分がエリザベス一世のように感じるの。生まれたのが男かどうか王は強く訊かないし、エリザベスの命名式ではみんな嬉しそうで、大団円とも見えるからだ。けど一人の観客に戻ってすべてを見渡すと、「もらったから」と言って小旗を打ち振る人々は恐怖で、最初のステンドグラスを通した明かりは、血まみれだったような気がするのだ。