下北沢ザ・スズナリ 小松台東 『オイ!』

 「宮崎弁で劇作する」、それについてわたし、誤解していたみたい。たとえばボール紙の円盤に、都道府県の名前が細かく割って書いてあり、その中心から赤い矢印が出ている。この矢印は動かせて、どの土地の上にも来る。そしていま、矢印は偶然「宮崎」の上にある。宮崎こそは「中心」であり、ほかの土地から出てきたものは皆、横目でふるまいを確かめながら必死で「宮崎」をさぐらなければならない。ねー?こうして「東京」を相対化し、批評しているのだ。客演の俳優が宮崎弁をマスターするのは、東京に出たての人間が「そうだよね」とか言ってみちゃったりするのに似ている。でもこれ、客席に通じているかなー。なにかもっと新しい試みが必要では?

 未来っぽく過去っぽい家の周りで、三方向に分化したり、また一つの流れに戻ったりしながらの『オイ!』である。世界は明確でそして不安定だ。戦争や内乱、地震や台風の災害といつもつながっている。のん気な男子高校生たちの毎日も、飲んだくれて眠りこけている父(今村裕次郎)の上に成立していて、陽気だけどか弱く、儚い。作家が動物を意識して書いたと言っていたが、ぜーんぜんわからなかった。時間軸の上をすごく似たものがまた出現するから?演出の抑揚に問題あるんじゃないのかな。シーンの終わり際のフェードアウトがとてもきれい。(照明操作:森井雄一)途中で使われる洋楽が、すんごいプラス思考で少しげんなり。プラスの極である井上玲央(小椋毅)のことは、もっとしっかり書き込むべきで、小椋にも、もひとつ若い父性が足らない。本屋の好きな少女(竹原千恵)が常識的でつまんない女に変わってしまい、仲間外れの子(吉田久美)が意外な人の妻になってたり、いいんだけど、それぞれ一回しか使えない技ですね。なぜマスクしてるの?表情見えなくて損。尾方宣久が玲央の背中に触る時の、キュウリのように青くこわばった顔がよかったです。